ゲイの一年 ~四季折々~

ゲイとしての今後の人生についてゆるーく考えていきたいと思います。

考えを改める

ゲイ友(通称ママ)と1日一緒に遊んだ。鎌倉で竹を見ながら抹茶を飲み、由比ヶ浜海岸で風を受け、ママの家でスプラトゥーン2をして、ゆるーくのんびりとした時間を過ごせた~!



1つ前の記事でも書いたけれど、ママはベテランカウンセラーのようでもあり、有名な占い師のような人でもある。ぼくが最近抱えている悩みやもやもやとした出来事について、真剣に耳を傾けてくれるし、的確な意見をやさしい口調ながらもズバッと伝えてくれる。



ここのところ、ぼくはいろいろやらかしているんだけども、特にこのブログについて、ママからの客観的な意見が心に痛くて、反省の念を抱いた。

ぼくはこのブログでは書きたいことを書きっぱなしにして、それを読んだ人と現実の場で会ったときにどう思っているのか感想を聞くことを想定しながら書いてはいなかった。もちろん頭の中ではブログを読む対象がどんな人なのかを想定することはできているんだけど、それを読んだ人がどのような感情を抱くかについてないがしろにしていた。


ぼくという人間はこのブログで書いている一面だけではないんだけど、この文章は何度も読み返せるし、ぼくという人間の印象を形作るのに大きな影響力を持っている。そこのところを改めて意識してこれからは書いていきたいと思った。


このブログは純粋に書くのが楽しくてやっている。書いた文章は、特定の知り合いだけにではなく、一人のゲイの日常を知りたいと思ってこのブログにたどり着いた人にも読んでほしいなという思いも持って書いている。
ドメイン名に「gayblog」と冠しているからには、その重さを感じながらブログに向き合っていかないとなぁと思います。





さて、話題はまたママに戻るんだけど、ママにはいつもぼくの悩みを聞いてもらっているだけではなく、ぼくがママの悩みを聞くことも多い。ママは10代の頃からゲイライフデビューをしており、詳しくは書かないけれど友人関係や恋愛で波乱万丈あって、今は少し疲弊していたりする。



ママと一緒にいてなんで快適なのかなぁ~と理由を考えると、ママとは対等な関係性を築いているからだと思う。お互いを客観的に見つめ合い、それぞれが幸せになれるようにアドバイスを送り合える関係。同じ「ゲイ」という境遇を持つ者同士、通じ合えることや言い合えることが本当に多い!




ママと話をしている中で、いくつかの悩みは解消したんだけれど(ありがとう!)、まだもやもや残っていることがあるのでここで発散する。


ここのところ年上のゲイと会うことが多く、年上の方と一緒に遊ぶときには従っていた方が何かとラクだという処世術を学んでしまって「年下キャラ」や「お子ちゃまキャラ」に甘んじることが多かった。年上の人からしてみたら、年下に変に意見を主張されるよりも、ある程度従順な方がよいのかなぁ~とか思ってみたりして。


だけど、ぼくのパーソナリティとして、人の面倒を見たいという兄貴肌的な側面の方が強かったりする。
ぼくの職場である学童では、子どもたちのわがままや甘えを受け入れる広い心を持って接したり、またある場面では自立できるように突き放したりといった対応をして、健全な成長をできるように促す役割を感じながら働いている。人の面倒を見ることを厭わない人じゃないと務まらない仕事なんじゃないかな?


そんなぼくの内面と、実際に自分が振る舞う言動との間でギャップがあり、心から自分を表現して楽しめていないのではないかと感じることが多くなっていた。そもそもぼくはかなりナルシストで、同年代の中では「大人な考え方をしている」という自己認識だったし。

もちろん、年上の方から見たらぼくなんかまだまだ青二才だけども、自分にウソをついている感覚は否めないよね。



だから、これからはお子ちゃまキャラで開き直っていくことはやめようと思う。このブログでも、読みやすさと親しみやすさを演出したくて顔文字を多用していたけど、これからは使わないことに決めた。ちゃんと自立して、対等な感じで友だちとも接したいな。

文章も口語体から文語体にしようか迷ったんだけど、ぼくの文章からは「無邪気さが伝わってくる」とある人が言ってくれたので、それはそのままにすることにした。



めちゃくちゃ遊んで楽しい日だったのに、記事の仕上がりはちょっと真面目過ぎる感じになっちゃった。けど、まぁいいや(笑)。お仕事がんばろー